白井の自己紹介

10秒で読めるちょーざっくりな経歴

現在25歳。静岡県出身、小〜大学まで野球少年。

大学が茨城の筑波大学でその関係で大学生になって初めて関東にでてくる。

将来がめっちゃ不安で3年生の夏くらいから3年の冬にかけて就活を結構頑張る。

ただ頑張れば頑張るほど就活がよくわからなくってくる。

元々将来的に独立して仕事をしたい欲があり、そんな時たまたま事業立ち上げの機会に触れることできる。

学生の間に生きていく分には困らない程度にはお金を作れるようになりそのまま新卒で就職することなくフリーランスに。

新卒フリーランスではWeb集客のコンサルティングを行う。もっと大きなところを相手にしたいと思い、昨年法人化。

合同会社NAVICKを設立して法人・個人向けにWEB系のプロヂュースをする会社の代表になる。

白井の生い立ち

小〜中学校

4人家族の末っ子として静岡の田舎に生まれました。

富士山が綺麗に見えるところだし自然が豊かでめっちゃいいところです。まじでいいところです。

↑家から15分くらいのところからの風景。写真見ただけでも空気が美味しそう!

幼少期からとにかく走り回るのが大好きで近所のお兄ちゃんお姉ちゃんたち(15人くらい)ととにかく走りまくる。

そのおかげか運動大好き少年に。

小学校5年生のときから野球クラブにて野球を本格的にスタート!

このとき良くも悪くも野球がそこそこできて6年生でチームの中心に。

「え?俺には野球の才能があったりするのか!!??」

そんな思いからか、ここから数年間野球に関して、天狗になっていきます。

中学校でも野球ではチームの中心。とにかく野球が大好きでしたね。中学になるとリーダー系の役をひたすら振られることになります。

承認欲求の強い僕は「なんで俺なんだよ〜しょうがないな!(ニヤっ)」みたいな感じで常に何かしらリーダーをやってました。

ここで人生の最初のターニングポイントがきました。

中学校2年生の頃にふとTVに映る静岡県の高校野球夏の予選大会で

静岡高校(僕が進学した高校)が決勝で試合をしているのを見て鳥肌がたちました。

 

「偏差値70以上の超進学校が野球でもトップレベル・・・。絶対行ったらかっこいいでしょ!!」

その場で母に「母さん!俺静岡高校行きたいわ!」と伝えて目指すことに。

そこから勉強と部活の世間的に言う「文武両道」状態に。

このとき勉強も野球も上手く行き過ぎちゃいます。

今思うと田舎だからすごいレベルの高い人がそんなにいなかったから頑張ればそこそこ結果でちゃったんですよね。

しかも生徒会長という学校の代表も任されてなんか中学レベルだとそこそこできるやつに。

良くも悪くも「俺はなんでもできるのでは?」と思い込んでしまいます(汗)

このときのステータスは

  • テストは150人の中でトップ争いを繰り広げる
  • 生徒会長もしくは学年の代表
  • 野球部でエースで4番

何度も言うように天狗でしたね(今思うとこんな人たくさんいますね。(汗))

ただ当時は人に褒められることが嬉しくて純粋に頑張っていたのだと。

実際に毎日夜になると1人で走ったり、みんなの前で話すスピーチの練習をアホみたいに毎日やったり

やったことない指揮者を先生に無茶振りされたときもなんとか期待に応えようと毎日鏡の前で指揮の練習をやったり・・・(ビデオカメラで自分が歌う側からどう見えるのかは毎日研究してました)

自分なりに色々頑張っていたのは今でも覚えてますね。青春だな。

それで高校受験に関しては毎日勉強漬け(土日は朝から晩まで図書館にこってました。)

ましてや中学校3年生の年越し(12月31日の12時)は1人で国語の問題集を解きながら除夜の鐘を聞いていたのは今でもしっかり覚えているくらい。今思うとストイックでしたね。

そんな頑張りの甲斐もあって静岡高校合格!

みんなにすごいすごいと言われたのは今でも覚えてますね。

(静岡県だと静岡高校ってネームバリュー結構すごいんですよ。←今だからわかります)

高校時代

憧れの静岡高校に見事合格。それと同時に野球部の寮に入るため家をでました。

ただ入学して一週間たったときくらいに

野球で甲子園を目指すチームのレベルの高さ

県でもトップの進学校のレベルの高さに屈して、人生で初めての挫折をくらいました。

↑ほんとにこんな感じでした。

これまで野球も勉強も上位だったのが高校に来たことで

一気に野球もスポーツも底辺になったのは当時15歳の僕には辛すぎました

勉強や野球において数値や順位が高いことでこれまで優越感に浸っていた僕にとって

学校がとにかく行きたくない場所になりました。

ただ今ではこの経験がなかったら今の僕はいないと間違いなく断言できます。

本当によかったです。(当時の僕は入学して一週間経った頃、狭い部屋で1人号泣してましたが←今ではいい思い出。)

そして天狗の鼻は折れて良くも悪くも丸くなります。

そこで初めて勉強やスポーツが苦手な人の立場になって惨めだと感じました。

(この惨めって感情がいいのか悪いのかわからないけど当時はとにかく惨めな気持ちになりましたね)

でもここで僕は協調性が身につきました。これが本当によかったんですね。

つまりはお互いを尊重することだったり理解すること。

これに高校生で自分の体験として気づけたのってめっちゃ大きいと思うんですよね。

実際にこの後の人生でめっちゃ役立っているんですよ。(もちろん今も)

静岡高校に行った一番の目的である

部活に関しては毎日夜の9・10時位まで練習。

土日は朝の9時から夜の9時まで練習するし、もうなんかすごい生活を2年半続けたのは我ながら

本当にあっぱれだ。

2年生のころにはスタンドながら甲子園出場。本当にすごい場所だった。

(ベンチメンバーには入ってないけど補助として入りました。)

日本の全高校球児の憧れの場所に高校生の時に踏み込むことができたのは本当に僕の人生にとって大きな財産ですね。

でも自分自身は怪我だったり実力不足で結局一度もベンチに入れず。

それでも家を離れて・地元を離れてでも静岡高校に行ったのは本当に良かったって今でも思う。

ただ試合に出れなかったのはわざわざ寮にまで住まわせてくれて親とかに申し訳ない気持ちにはなっていましたね。

アホみたいに勉強した受験期

部活の引退が近づくにつれて進路についてめっちゃ悩みました。

なんとなくだけど、スポーツとか体育系の分野がいいかな〜と思っていたけど部活引退後

母さんに

「筑波どう〜?学生の街って言われてるし、いいんじゃない?」

「へ〜。とりあえず見に行ってみるか〜」

 

そんな感じでとりあえず茨城の筑波大学に1人で訪問。

↑実際の写真

「なるほど。とにかく広いな。自然豊かだし田舎もんの俺には東京よりもこういう町のほうが合ってるな!」

そんな感じで志望校を筑波に決める。(自然が沢山!)

ただ当時の僕の成績はやばくて、3年生の8月の模試の偏差値が40ちょっと。

900点満点のテストで450点も点がとれない状態。

「そもそも大学に行けるのかな?」そんなところから僕の受験勉強はスタートしました。

そこから今では考えられないくらいアホみたいに勉強しました。

平日6時間〜7時間、土日は10時間以上。

チャリに乗っている時は英語のリスニングか古典の565(ゴロゴ←知っている人は知っている)を

ひたすら聞いて、電車のホームでは英単語帳を見ながらひたすら英単語をぶつぶつ念じてました。(ホームはうるさいので耳栓もしてましたね)

ちなみに引退後は野球部時代にお世話になった寮をでていたので毎朝5時に起きて、1時間半かけて学校に通ってました。

僕より朝早く起きて毎日朝ごはんとお昼の弁当を作ってくれて母は本当に偉大ですね。

それもあって現役で筑波大学体育専門学群合格!そして茨城の地で大学生活を送ることに。

大学時代

アルバイトやりまくる

大学に入ったらとにかく色んな経験したいなあと漠然に思っていてそれもあってバイトはとにかく挑戦しまくりました。

  • プールの監視員
  • ケーキ工場のライン作業(3日間の単発)
  • 飲食店のキッチン
  • 飲食店のホール
  • ユニクロ
  • 家庭教師(生徒8人見ました)
  • コストコのベーカリー

こんな感じでとにかく色々やってみました。

ただ僕昔から吃音(声がでにくい病気というか声がどもる症状)があって

人前というかマニュアル通りの言葉だったり、絶対こういう風にいわなきゃいけないみたいなフレーズ

(いらっしゃいませ〜とかユニクロだと「ありがとうございました!またお越しくださいませ〜!」)とかが本当に苦手で、接客の仕事はほとんど長く続きませんでした。

↑分かる人にはわかるやつ。特定の場面になると急に声がでにくくなります(汗)

中学校の頃の生徒会長とか大勢の前で話す分に特に支障はないんですが一対一で緊張しちゃうと声がたまにでなくなるor意味わからないところでめっちゃ噛む現象が起きます。

それもあって接客は将来的に無理だ〜なんて思ってましたね。。。

2週間だけだけどフィリピンに留学行ってみた

元々海外に興味があって(大学の授業で世界中から学生が集まる授業に参加したのがきっかけ)

どっかのタイミングで留学みたいのしたいと思っていたが部活やら就活やらで中々行けず・・

でも唯一行けるタイミングがあって3年生の冬(1月くらい)にフィリピンに。

ここでの体験は本当に有意義だった。

英語を学びに行ったはずだが英語よりもいろんな生き方をしている人に会って自分の人生について改めて考えるきっかけになりましたね。

だからってわけではないけど学生のみなさんは絶対に海外行ったほうがいいですよ。

↑フィリピンの海の上でパシャリ

ほんとに楽しかった。

就活が疑問だらけだった

4人姉弟の末っ子で育った僕は感覚的にだけど家族の中で一番投資してもらっていました。(上3人の姉弟にも沢山投資してもらった)

それもあって

お金は稼いで家族に経済的に恩返しがしたい!

どうせ一生、働く・仕事はするだろうから楽しいことがしたい!

そんな野望を持っていました。

それプラス漠然と将来が不安で就活はかなり一生懸命やってました。

3年生の夏から冬にかけてインターン・説明会は20社くらい行きましたね!

ただやっていくうちに

  • どの仕事もやりようによってはそこそこ楽しい→1つのことに絞れなくね?
  • なんで説明会で人事の人としか話せないんだ。仕事を一緒にやる人は人事じゃないだろ。
  • インターンってなんでワークばかりなのだ。実務やらなきゃ仕事のことわからなくない?
  • やったことないのになんでこれやりたい、あれやりたいって言うんだ?
  • なんでみんな企業に入ることがゴールになってるんだ?
  • 安定?みんなにとっての安定ってなんだろう?

そんなかんやでなんか就活が嫌と言うか抵抗あるものになっていきました。

もちろん勉強になったことは沢山あります。

就活に一生懸命だったからめっちゃ悩んだしその結果今があると思うと良かった経験。

それでもやっぱり今も就活に対して思うところは沢山ありますね。

 

WEBを使って事業立ち上げを経験

そんな就活をしている時にたまたま縁があってWEBを使って事業をやっている人に出会い自分それに挑戦!

(3年の2月くらいから!)

ここで最低限のビジネススキルや知識が身につきました。

それもあって新卒フリーランスとしてやっていく道を選択しました。

何度も諦めかけた

とは言え、そんなに甘くない世界でした。決まった日に入るお金はないので自分次第。もちろん、それをわかってフリーランスという道を選びましたがいざ自分がやってみるときついことばかり。

2週間熱が下がらないときとかはもうお金なかったんでどうしようかと思いました。

 

座右の名

”世の中正解なんてないから自分の選んだ道を正解にする”

常に「どっちが正解なのかな・・・?」とあるはずもない答えを求めていた僕には非常に響いた言葉であり今でも僕が頑張る原動力になっている言葉です。

新卒フリーランスの道を選んだときにも「大丈夫?」とかめっちゃ言われましたが僕からしたら「そんなの知らん!」って感じで。

あんたの大丈夫の基準は知らないけど大丈夫になるように頑張るしかないわ!って思ってました。

趣味・好きなこと

  • スポーツすること
  • スポーツ見ること(なんでも見ちゃう)
  • 映画鑑賞
  • マガジン・ジャンプ